Die Zeit Nr.50 7.Dezember 2000 (「ツァイト」第50号 2000年12月7日)

ヨーロッパの境界

「私たちは共通の文化を創造しなくてはなりません」 歴史家ジャック・ルゴフがトルコのEU加盟、新たな移民および欧州委員会の世俗的典礼の欠如について語る

聞き手:ヨアヒム・フリッツ・ファンナーメ

ツァイト:
欧州連合はトルコを受け入れてよいものでしょうか。

ジャック・ルゴフ:
いいえ。私はトルコの受け入れに反対です。もちろん地理的理由からではありません。19世紀には植民地すなわち海外のヨーロッパを考え合わせずに「ヨーロッパ」を語ることができたでしょうか。ですから地理的境界は基準としない方がよいでしょう。こう申し上げるとびっくりなさるかもしれませんが、私はいつの日かヨーロッパが北アフリカまで及ぶと想像できます。私はまた、歴史的に忌まわしい記憶があるがためにトルコの加盟に怖気をふるうわけでもありません。確かに昨日までトルコは競争相手でした。しかし歴史は変わります。これを考慮しなければなりません。同じ事が宗教にも当てはまります。確かにヨーロッパはキリスト教によって強く特徴づけられています。しかしユダヤ教およびイスラム教と常に密接な関係を結んできました。そしてこの関係は決して紛争を孕むものばかりではなかったのです。ヨーロッパは宗教的基準で規定されるものではなく、今後ますます多くのイスラム教徒が暮らすでしょうし暮らせねばなりません。それに加えて、キリスト教はますますヨーロッパ的でなくなっています。キリスト教からの離反がここヨーロッパほど著しいところは他にありません。しかしトルコは国家的、イデオロギー的な思考をしています。民主主義に欠けています。トルコがアルメニアに対し謝罪をしようとしない限り、私にはトルコの欧州連合加盟は考えられません。

ツァイト:
つまりあなたはヨーロッパを境界のない価値共同体と定義するわけですね…

ルゴフ:
肝心なのは人権を尊重する民主的なヨーロッパです。

ツァイト:
その点であなたは欧州連合の各国首脳と同じ立場に立っています。まさに民主主義、法治国家、市場経済を各国首脳は加盟基準としていますし、この条件の下でトルコをも受け入れようと考えているのです。

ルゴフ:
もしトルコがそこまで変わったならば、加盟を阻む要素はなくなります。ただ私が心配しているのは、我が国の政治家−とりわけ左派の数名−がトルコ政府に対し、寛大に見過ごしてやろうとしているのではないかということなのです。ヘルシンキのEU首脳会議では踏み込み過ぎました。

ツァイト:
重視されるべきはこの三つの基準だけなのでしょうか。それではいつの日かコーカサス山脈の向こうの共和国あるいはロシアが欧州連合の加盟国となることがあるのでしょうか。

ルゴフ:
ロシアは問題です。ことによると今日のロシアはトルコがトルコ的であろうとする以上にロシア的であろうと望んでいるのではないでしょうか。トルコは孤立を避けようとすれば、ヨーロッパへの道しか残されていません。陳腐に聞こえるでしょうが、ヨーロッパは多様な形態をとり、面積は小さいのです。一方ロシアは巨大です。ロシアのアジア部分を除外すべきでしょうか。とても考えられません。それに加え、この地域はロシアにとって重要性を増すことになるでしょう。またチェチェンも考慮の材料です。地図に目を向ければ、ロシアは手に握っているものを絶対に手放さないことがわかるでしょう。これはヨーロッパとはかけ離れています。

ツァイト:
トルコの場合は地理の問題ではないと言い、かたやロシアについては地図を指し示す。それではどこがヨーロッパの境界なのですか。

ルゴフ:
すでに中世にいく人かの知識人−こう呼んで差し支えなければ−はこの問いかけを行っていました。彼らはもちろんヨーロッパではなくキリスト教を問題にしていたのです。その際、多かれ少なかれ古代ギリシャの地理学者をよりどころとしました。ギリシャ人にとって「ヨーロッパ」はなべてドニエプル河で終わると考えらたのです。今日では別の見方もできましょう。しかし現在も通用するのは、このヨーロッパの東の境界のみが問題なのだという点です。

ツァイト:
中世に境界を規定したのはどのような目的があったのでしょうか。やはりひとえにその境界を越えるのが目的だったのです。境界の先には布教地が広がり、蛮人一人一人が将来のキリスト者というわけです。

ルゴフ:
その通りです。もちろん中世には境界という概念は基本的に知られていません。中世の思考法に合わなかったのです。境界とは近代的な言葉です。これに対し、最も外の境界すなわち周縁はありました。第一にはごく一時的な周縁であり、これは将来の征服や布教の対象でした。また第二には越えられないと考えられた周縁もありました。キリスト教は布教の前線がどこになるかはっきりと確かめていたのです。たとえばすでにローマ帝国が足跡を残しておいたイギリス諸島であり、シャルルマーニュとボニファチウスの治世にあってはライン東岸の地域です。もう一つのタイプはレコンキスタの国々です。さらに付け加えるならば、ヨーロッパの歴史家が抱く境界という概念は、アメリカ人のこの言葉の理解「遙かな西部、新しい開拓地」Far West, new frontier の影響をとみに受けています。しかしこれは中世の西洋にはまったく当てはまりません。当時はそのような考えはなかったのです。

ツァイト:
キリスト教西洋はかつてイギリス諸島に広がり、後にスカンジナビアに及び、その後エルベ河とオーデル河を越え、またレコンキスタ運動により南ヨーロッパに拡大しました。その後1000年、欧州連合はイギリス、イベリア、スカンジナビアと拡大し、明日には東中欧に向かいます。いったい明確な輪郭は見えてこないのでしょうか。

ルゴフ:
ご注意下さい。私は限定できないヨーロッパのことを話しているつもりはありません。しかしヨーロッパを地理的に狭く定義してはなりません。そもそもいつヨーロッパは誕生したのでしょうか。蛮族が末期のローマ帝国に侵入したときなのです。無論この蛮族という語をローマ人はすぐにまた口にしたのですが。それではヨーロッパの一体性はどのように生まれたのでしょうか。民族の混合によるのです。これは私たちの大陸において伝統となりました。民族混合なくしてヨーロッパはなし。これは今日でもあてはまります。新しいヨーロッパが私たちの目の前で、また新たな移民との混合を経て生まれるものと私は心から確信しています。

ツァイト:
中世のヨーロッパはあらゆる混合と混血にもかかわらずキリスト教を共通の信仰とし、ラテン語を共通の通用語とする統一体でした。この統一体が今日また望まれているのでしょうか。脳裏に欧州連合、唇に英語を伴い?

ルゴフ:
ラテン語は聖職者の役に立ったのみで、しかもひどいエリート主義をもたらしました。それゆえラテン語は文化のヨーロッパ化をむしろ阻害したのです。文化は90パーセントの人々には閉ざされていました。言語の役割は二つあります。コミュニケーションと文化です。しかし文化的使命を英語は果たすことはできません。これは反英的思考でも反米的思考でもありません。私の父は英語教師でした。しかし世界中でぺらぺら話されているような英語は唖然とするほど貧困です。それゆえヨーロッパには一つの道しか残されていません。つまり私たちはすべての言語に発言権を与えねばならないということです。ヨーロッパはこのような多様性の中でのみ一つになれるのです。

ツァイト:
ヨーロッパは内面的にたいていの場合は分裂していました。ローマ対ビザンツ、東欧ブロック対西欧。今日では内なる境界が消滅しつつあります。

ルゴフ:
あなたの考えでは、ヨーロッパは常に自分の家の中に暴れん坊を必要としたというのですね。私にはそれが合っているかどうか分かりません。いずれにせよ、今の統一されたヨーロッパは異なる者、すなわち非ヨーロッパ人をその暴れん坊に仕立ててはならないのです。ヨーロッパが超国家になって、その中で市民は以前と同じナショナルな短所を育むようなことがあってはなりません。これを私は時折アメリカ人とのつき合いで感じるのです。私を驚愕させる反アメリカ主義が存在するのです。私は対話のヨーロッパを望んでいます。これが平凡かつユートピア的に聞こえることも承知しています。グローバル化の進行とともに人間はさまざまの同心円の中で暮らしたいという欲求を感じています。まず人間の性質に基づく地域的な円があります。次にナショナルな円があり、これは今後とも存続せねばなりません。そしてヨーロッパの円が来ます。しかし私たちはそこでとどまってはなりません。まだ最後に普遍的な円があるのです。すなわち私たちはみな人間であるというレベルです。

ツァイト:
ヨシュカ・フィッシャー〔ドイツ連邦外相=訳注〕は欧州連合において種々の文化圏を区別しています。創立国の文化圏、イギリス・アイルランド・スカンジナビア文化圏、独裁の記憶も生々しい地中海圏、そして明日には、同じく独裁の経験を持つものの南欧と異なり資本主義の経験のない東中欧圏がこれに加わります。

ルゴフ:
フィッシャーは正鵠を射ています。歴史の重みはこれらの地域ごとにきわめて異なって感じられます。ひとつのヨーロッパにまとまろうとする今でもそれに変わりはありません。一例を挙げましょう。中世において真に根本からヨーロッパ的であった国があったとすれば、それはイギリスです。いったいどうしてこの国はそれ以後これほどヨーロッパから離反することになったのでしょうか。私はシェークスピアを賛美します。しかしシェークスピアを歴史家として読む者は、彼の時代のイギリスがヨーロッパから、すなわちいわゆる大陸からすでに後退していたことに気づくのです。シェークスピアの政治的イデオロギーはきわめて島国的なものです。『リチャード二世』のランカスター公のモノローグばかりではありません。

ツァイト:
「この王権に統べられた島、この尊厳に満ちた王土」というわけですね。しかしこの島国精神の形成にあたっては、ヘンリー八世とイギリス国教会の創設の方が、イギリスを王冠の島や第二のエデンと歌ったシェークスピアのどの詩句よりも決定的影響を与えたのではないでしょうか。

ルゴフ:
中世にはイギリス教会のローマ法王庁とのつながりは他のどこよりも密接なものでした。すべての大きな行事においてイギリス人は先頭を進みました。グレゴリウス七世の改革を考えてみると分かります。さらに王家もアングロサクソンからノルマンを経てプランタジネット家に至るまで、すべて大陸と結びついていました。こう言ったからといって誤解なさらないでください。宗教改革で事態が簡単になったわけではないのです。少なくとも長い目で眺めた場合は。一面で宗教改革は私の好むところです。唯一の教会による支配とキリスト教の排他的解釈に終止符を打ったからです。すばらしい進歩です。しかしヨーロッパの視点から見た場合、宗教改革はさまざまの退歩ももたらしました。中世の統一性から、ローマ教会から離反するものは、同じにヨーロッパから離反することになったのです。もう一つの問題点は修道院制度の終焉です。修道士はきわめてインターナショナルな存在でした。中世初期にヨーロッパの形成にともに関わったのはアイルランド人、ゲール人、アングロサクソン人の修道士でした。宗教改革とともにこのネットワークが破壊されたのです。今日イギリスは複雑を極めます。イギリス人は無条件にヨーロッパに参加しようとは考えていませんが、支配的な位置を占められなくともせめて強い影響力を行使できる立場を望んでいます。この点でトニー・ブレアはとても上手です。私にはロマーノ・プローディ欧州委員長は賢明さに欠けるところがあると思われます。彼はイギリスが欧州委員会においてあまりにも大きな影響力を持つのを許しています。

ツァイト:
この欧州連合があらゆる形式や至高性に欠けると感じませんか。

ルゴフ:
宗教的荘厳さはもはや存在しません。私は市民としてはこの宗教性の消滅を歓迎しますが、歴史家としてはこうした発展を遺憾に思います。聖なるものなしに真の権力はありえませんし、マックス・ウェーバーの言葉を借りれば、カリスマなしの権力はないのです。欧州委員会には驚くほどこれらの要素が欠けています。ジャック・ドロールには若干カリスマ性がありました。彼は欧州委員会には一種の典礼が必要だと感じていたのです。

ツァイト:
欧州基本権憲章がその最初の要素とならないでしょうか。そして基本権憲章の厳かな採択がそのような世俗的典礼の最初の契機になりませんか。

ルゴフ:
そうなることを切に望んでいます。それに加えて私たちには直接選挙による大統領が必要です。この点に関してもフィッシャーの演説は私の気に入りました。なぜならこのような大統領はある種のカリスマ性を伴わねばならないからです。欧州議会選挙は確かに大きな成功とは言えません。これは典礼の基盤とはなりません。典礼とするためには欧州議会にもっと大きな権力を与える必要があるでしょう。私はフィッシャーの考えが選挙の典礼にもいっそうの魅力を与えるものと期待しています。ヨーロッパは共通の文化を必要とすることを明確に自覚せねばなりません。その大部分はこれから創造しなくてはならないのです。ヨーロッパは魅力的でなくてはなりません。また愛すべきものにならねばなりません。

原題:Die Grenzen Europas
"Wir muessen eine gemeinsame Kultur schaffen" : Der Historiker Jacques Le Goff ueber die Aufnahem der Tuerkei, die neue Einwanderung und Bruessels Mangel an weltlicher Liturgie / Von Joachim Fritz-Vannahme
(仮)訳:中島大輔(C)